2006年05月09日

『リンダ リンダ リンダ』

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『リンダ リンダ リンダ』 ★★★★★

彼女たちを見せ物にした作品ではない。あくまで、彼女たちが過ごした時間を共有する作品である。彼女たちに姿を重ね合わせるも良し、彼女たちを少し離れた距離から見るも良し、自らの経験としてある時間を重ね合わせるも良し。
ただ、どちらかと言えばリアルタイムで彼女たちと姿を重ね合わせるよりも、過去の自分の姿を彼女たちでなくとも、その世界に重ね合わせられるほうが感情移入もしやすい。
「今を思い出になんてしない」と作中で女生徒が語るが、作り手は現実にそれを信じていない。いや、信じていないからこそ作られた空想世界(映画)の中にそれを実現しようとする。
だからこそ、本作は幕引きをしない。

この手の作品で近作近いものを探すなら間違いなく『ロボコン』だ。対外的な溌剌さよりも、仲間内との、得がたい彼女らだけが持ち得た珠玉の時間をただただ映し出す。
夢中になるあまりの時間の消失。激突。語らい。決して派手さはないけれど。
ペ・ドゥナ演じる韓国からの留学生・ソンが誰もいなくなった露店を独り駆け抜けるが、彼女たちの文化祭は、場にあるのでなく、仲間との時間の中にある。
くさい言い方をすれば、この時間こそ永遠であり、それを切り取ろうとするのが本作だ。

ただ、あくまでカメラは彼女たちを至近で捉えようとはしない。
ただ単純に、監督である山下敦弘の作風とも言えるが、実のところ、監督自身やそして自分とも重なるところのある、中心にいなくとも、素直に近付きたくて近付けなかった人間たちの視点であるのではないかと思う。だからこそクライマックス、舞台上で歌う彼女たちだけでなく、夢中になって取り巻く生徒だけでなく、一歩離れた場所から彼女たちを見上げる生徒さえも映し出そうとする。そこにいる人間のジレンマをも映し取ろうとする。
それを映画的でないと捉えることは簡単であるし、最近では矢口史靖監督の『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』を絶対として、それと比することで批判することも簡単だ。どちらの切り口が正しいとは言わない。ただ、本作では彼女たちは刹那的に、彼女たちのみをフィルムに収めているのでなく、永遠に時間をもフィルムへと収められている気がしてならない。

タイトルの由来となり、作中のガールズバンド「パーランマウム」が奏でる「リンダリンダ」。原曲を歌っていたブルーハーツに、作中でこれまた歌われたり口ずさまれたりするユニコーン「すばらしい日々」、ジッタリンジン「プレゼント」。これら曲は、ある年代の人間にとっては、彼女たちの仲間と共有した時間と同様に、思春期の過程で心に刻まれ、絶対的な位置を占める名曲。
歌は記憶に結び付く。だからこそ、名曲の数々が、自分の記憶と結び付き作中から得られるだけでない、自分の中にある何を目覚めさせることでまた作品を輝いたものとしてくれる。

もちろん山下節も健在で、ソンを中心とした日韓のカルチャーギャップ、言葉のギャップに頼るところはあれど、淡々と、大笑いはしないけれど思わず笑みをこぼしてしまう、ちょっと毒も入った笑いがところどころに塗されている。
「パーランマウン」のメンバーそれぞれを演じるペ・ドゥナ、前田亜季、香椎由宇、関根史織から、容易に想像できる華やかさは決してない。紋切り型に高校生というイメージから得られる溌剌さもない。極端に振れる形で陰湿でも当然ない。ただ、漠然とした悩みや、切なさの裏にある喜びを噛み締めたような姿を見せ、カメラは写し取る。
山下組ではお馴染みの山本剛史が今回おいしい役どころ。他、湯川潮音、山崎優子ら本業ミュージシャンが本領発揮できる役どころで記憶に残る歌声を披露。甲本雅裕が教師役に抜擢されているのはブルーハーツとの繋がりからか。
posted by やすゑ at 20:24| Comment(0) | TrackBack(2) | 映画 (ら) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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